少しずつがんばる

新型コロナウイルスの影響で大学が休校になり、オンライン講義だけでは暇を持て余してしまったので、新しいことを始めてみました。

二重まぶたを作るのをやめた。整形するのもやめた。

このブログでは美容整形について自分の考えたことを書いています。美容整形に反対、賛成といったことは特になく「私が整形をしなかった理由」について私の意見を素直に書いています。考えが合わず気分を悪くされた方はごめんなさい。でももしこの記事を探し当てたということはきっと、整形を迷っているのかと思います。少しでも考えの手助けになれば幸いです。文章を書くのが下手なのでとても長いです。

 

私は自分の目がコンプレックスだった。

つり目で細目で奥目(奥目という概念は最近知りました)。お世辞にも目がぱっちりとは言えない。引き出せる良さを最大限活かすとするとアジアンビューティーになるだろう。しかしアジアンビューティーな方々はすっとした切れ長の綺麗な目で鼻や輪郭がとても整っていて土台があまりにも違いすぎる。決して高くもなく横に大きめの鼻、出っ歯で口ゴボ気味の口元にまん丸の顔、「一重を活かして美しくなれる土台が私にはない」そう思った私は目が二重ならもう少しマシなのになあと思いはじめた。

 

高校3年生くらいからノリのアイプチで奥二重を作り始めた。瞼の重みと形状的にぱっちり二重にはならなかった。当時のことはよく覚えていないが、写真で見るとあまり一重と変わらない。気持ち黒目に光が入っているのか…?程度だった。授業中いつも寝ていたので近くの席の人は「こいつ…瞼が突っ張ってやがる…」と思っていたかもしれない(笑)

大学に入るとアイテープやアイプチを駆使し、さらに化粧をするようになった。そうすると瞼はどんどん化粧後の姿に適応してくれるもんで、1年もせずに片目はアイプチをしなくても綺麗な二重になった。大学1年生のときに彼氏ができて、彼氏にも「目がかわいい」と言われた。私はこのあたりからなんとしてでも永久の二重を手に入れようと思い始めた。二重癖付け族ならわかると思うが、夜にアイテープを貼って寝たり、朝アイテープを貼って学校に行く途中に外したり、そんな工夫をするとまるで天然二重かのように1日保てるのだ。途中からはそのようなことをせずとも朝起きてちょっと瞼に力を入れれば二重になるようになった。私はこれで大学3年間くらい天然二重の人の気分になっていた(笑)しかしもとはぱっちり一重。天然二重の人は筋肉の作り?というか瞼の持ち上げ方がそもそも違う。癖付けでできた二重はいわばただのシワである。だから安定はしない。私の作り上げた二重は泣けば戻るしむくめばパンパン一重になる。

何より私は瞼に力を入れることで二重を維持していたので眉間やこめかみあたりが疲れて痛くなってきた。これも伝わる人には伝わると思うが、瞼にグリンと力を入れると二重になるあの感じで年中瞬きしていたわけである。ここまで努力をしても自分の納得のいく二重になったのは左目だけで、右目はうまくいかない。線が入った一重、といった感じだった。

このように自分の瞼と格闘して数年経ち、私はなんかもう「整形しよう」と思った。二重の埋没手術はお手頃価格で行うことができ、比較的ポピュラーな美容整形だ。埋没をしている友人は私の回りにも何人もいる。もちろんオープンにしない人も多いだろうことを考えると多分自分が想像しているより多くの人が美容施術を受けている時代になっているのだと思う。

自力で作った二重が崩れたりうまくいかない心配をする必要がない。二重を維持しようと瞼に力を入れることで生じる頭痛やストレスから解放されたい。その気持ちで私は何か月もツイッターで「埋没 経過」「二重 埋没」などサーチし続けていた。

 

しかし私は整形に踏み切れなかった。彼氏に言えなかったからだ。

もともと彼氏は私のことを天然二重だと思っている。というか、私がそう思わせた。お泊りでも一重になることは無かったし、一重へのコンプレックスがありあまって、自力で作った二重のくせに、まぶたに力を入れてるくせに、「わたしもともと二重幅狭くてさー」などあたかも自前のように語っていた。恥ずかしすぎる。彼氏は社会人で週末しか会わないので、ダウンタイムが短い埋没なら秘密でアイプチラインに沿って施術して、腫れが引いてから会うこともできた。彼氏は美容やおしゃれに疎いので、きっとその手を取っていれば気づかれることはなかっただろう。でもそれをするのは気が引けた。私は隠し事をするのが本当に苦手なのだ。隠し事を隠し通すことはできる、自分で言うのもなんだが、口からすらすらと言葉が出る方ではあるので、秘密をばれないようにすること自体はできると思っている。苦手なのは、隠し事をした時の自分自身の心だ。大切な人に秘密を作ったり、嘘をついたりごまかしたりすることで罪悪感を感じたくなかった。だから私はある日突然、結構軽いノリで「目、いじろっかな」と言った。

彼は優しい人なので、施術するなら病院についていくよ!とか言ってくれるんじゃないかなんて期待もしていた。

 

しかし結果としては、、、笑ってしまうくらい大反対だった。彼氏は優しいけど結構頭が固い。整形に関しても「親からもらった体に…」というよくある頭カチコチ理論を出してきた。「で、でたーーーーーー」とおもった(笑)うちの両親は年の割に考え方のアップデートがされていてなんにでも寛容なので私が整形をしても叱ったりはしてこないのは分かっているが、もし整形をしたら彼氏に嫌がられることが分かった。軽いノリでもちかけたはずなのに真剣な話し合いにまで持ち越してしまった。

話しあいの内容は長いので割愛するが、まとめると

・親からもらった健康体に、事故や病気でもないのにメスや糸を入れるのは良くない

・一重になっちゃうところも含めて好き

・いつも「かわいい」と言っていたのに整形しようと思うなんて、僕の存在ってなんだったの?

・整形してしまったら見た目以上に心が変わってしまったと僕は思ってしまう。嫌いになったり別れたりはしないが今まで通りに君を見ることができないかもしれない。

・とりあえず整形は気軽にやることではない。気軽に思えるようになったのは良くない時代の変化だと僕は思う。

 

などなど…。「やばい、考え方古い!!」と思った方も結構いるだろう。私もそう思う。まあでも整形を受け入れられない人がいるというのは当たり前のことだし、一人一人考え方は違うのでこれを責めるのも違うな、と思ったので彼氏の整形反対意見には抵抗しなかった。私も私で面倒くさい女なので、整形が受け入れられすぎて誰もかれもが整形をする世の中はそれはそれで少し寂しく感じてしまうと思う。

とはいいつつ、整形を猛反対された上に整形をする人の人間性まで否定されたような気がしてその日はだいぶ泣いた。次の日、ぱんっぱんの一重瞼の自分が鏡に映っていた。

 

泣いたりむくんだりした日って私は必ずアイプチで二重にしてから外出していたのだが、その日は心が疲れてしまったので一重のまま出かけた。

 

約3年ぶりに一重で1日過ごしてみて気付いた。

 

誰も私の目とか見てないんですけど!!!!!!!

え、みんな私のこと見えてる?パンパンの一重だが、、、。いてもたってもいられなくなって自分から、「今日むくんで一重になっちゃった」などと見苦しい言い訳をした。周りの人は「え?そうなん?」「あー。言われてみればそうかも、、、」みたいな。とにかく反応が薄かった。その日彼氏が仕事後に私の家に駆けつけてくれて、昨日はごめんね、言い過ぎた、と謝りに来た。1時間ほど一緒にいたが、目について言われることはなく、私はおそるおそる帰り際に「今一重なんだけど、、、」と言った。すると彼氏「え!?そんなんわかるかーい!てか、あんま変わらなくない…?かわいいよ」みたいなことを言っていた。

 

もしかして一重とか二重とかに執着してたのって私だけだったのかな。そう思った瞬間、良い意味で「もういいや」と思えた。その時から私はずっと一重で過ごしている。それこそ数日は突然瞼の食い込みがなくなったことに逆に不自然さを感じ視界も狭く感じたが、元の目の作りであるわけだしすぐ慣れた。二重にしていた時のストレスもなくなり、瞼に力を入れる必要もなくなったので体も心も軽い。きっと埋没していたら二重にはなっただろうけど、彼氏に言ってからやったとしたら、彼氏に優しくされても心の中で「整形」と思われているんだろうな、と自意識過剰だが意識がもうそこにしか向かないだろうし、言わなかったら秘密にしている罪悪感で息が詰まっていたはずだ。自分の顔を変えてしまったことや埋没の糸が取れてしまったときのことを考えてもストレスが湧いていただろう。

 

とりあえず、このくらいのことで「整形、やーめた」と思える私はしない方がよかった。もちろん整形によって人生や気持ちが明るくなる人もたくさんいる。そういった方々の整形は外見だけではなく内面の治療にもなるのでいい手段だろう。しかし私は違うということが分かった。わたしは整形して綺麗になることより、ありのままの自分を受け入れる方がだいぶ生きやすくなるタイプだということに気付くことができた。そもそも外見に執着していなかった小学生の時も楽しかったし、バリバリ一重だった中高時代も(高3からアイプチしてたけどね)それなりに恋愛っぽいことに参加できていた。というか現在進行形でありのままの自分を愛してくれる両親と彼氏と友人がいるわけで、これ以上何を求めるの?といわれても仕方ない。容姿が原因でいじめられたことだってない。目細いとかよく言われていたけどポジティブ学生時代はそんな自分のことを涼しげな眼もととか良く思っていた(笑)

自分のコンプレックスは整形をするほどのものではなかったということだ。てか、一重にしてもあんまり顔変わらないって多分埋没してもあんまり変わらないんだろうな…

 

すごく長くなってしまったが、私は今は一重の自分を気に入っている。もちろんかわいらしさで言えば二重の方が今でも好きだ。ただ、「ありのままの自分でいることを決めた自分」が好きなのだ。一重に戻ってからはウルフカットにしてすっきりとした顔だちを活かしてみたり、まつ毛パーマに行って目力を出してみたり、いろいろと楽しいことをしている。ユーチューバーが案件で整形をしたり、電車に沢山の整形の広告が貼られていたり、インスタやツイッターには整形の症例やレポが溢れている時代だ。美容整形はどんどん身近になっているが、これがこれからの未来を生きる今の小中高生たちに無駄に美を追求させるきっかけになってしまうのではないかと心配だ。整形をして暗い過去を断ち切り明るい未来をつかむことができるとか、自分をより好きになれる人は迷わずやった方が幸せなんだと思う。でも少しでも迷っている人は、今一度考え直すべきだと思っている。少しでも迷っている時点で、その迷いは術後の後悔になるかもしれないからだ。

彼氏は古臭い考え方だとは思うが、私を踏みとどまらせて考え直すきっかけを与えてくれた。たくさん書いては見たけどまだまだ容姿のコンプはあるし綺麗な人はうらやましい。でも容姿のことって考えれば考えるほど病むし疲れちゃうんだよね。もっともっと心を磨いて容姿に執着しない人生になればいいな。とか書いて終えてみる。

 

長々としたまとまりのない分を読んでくれてありがとうございました。

 

追記

一重って目元の華やかさは二重に劣る分、濃いリップメイクしてもいい感じだし表情込みで顔が映えると思うんだけど、マスクできつい目元だけが出ているの、くやしい~!早くマスクなしで、お気に入りのリップで自分に自信をもって外出したいな…